死と向き合うとき
2001年10月24日今日、妹からメールが来た。
父の検査結果の報告だ。
実は父が癌で入院し手術をすると聞いたのが今月の初めだった。
何年も連絡の無かった妹から突然携帯に電話があり、その内容が父の入院・手術だった・・。
父とは何年か前に大喧嘩をして、それっきり連絡を取っていなかった。
そして久しぶりに会った父は、手術が終わり麻酔の覚めていない眠った状態。
ICUの中で久々の親子対面だった。
とても痩せた・・・とても老けた・・・。
気の荒い、喧嘩っ早い、やんちゃ坊主みたいな父だったのに、そんな面影は微塵も残っていない。
無性に悲しくなった。寂しくなった。
あれから、時間のある限り父の病院に顔を出していた。
しかし今日は、その父ともあまり逢う時間が残されていない事を知らされた。
癌は転移しており、半年もしたら確実に全く食事も取れない状態になるだろうと医者からの説明があったらしい・・。
だから残された時間を、本人の安心するところで過ごさせて上げてくださいと・・。
7年前に母が亡くなった。脳梗塞だった。
4年前に四男が癌で2歳10ヶ月という、可愛い盛りに亡くなった。
それ以外にも、死というものに何度直面してきただろう・・。
この世の中で一番確実であり、誰にでも平等に訪れる死というもの・・・。
自分の身内に、又は近い人に訪れた時、人は動揺するのだろう。
決して薄情な訳では無いが、父の余命わずかの知らせを聞いても全く動揺しない自分がある。
それは、この検査結果を予測していた事と、子供の死を乗り越えた私にとって、親の死は当然のこととして受け入れられる心の準備があったからだと思う。
今真剣に考えている。
私は父に何をして上げられるだろう。
父は何に一番幸せを感じるのだろう。
どうすれば「自分の人生は幸せだった」と思ってもらえるのだろう。
あんなに憎んだ父だったのに・・・。
今はそんな気持ちは全く無い。
皮肉なものだと思った。
死というものが私の心の中から憎しみと怒りを取り除いた。
明日は妹と相談する事になっている。
残された父の人生を有意義にするために・・。
この世でたった一人の父親の幸せの為に・・。
ニッコリ笑って最後を迎えさせてあげたい。
父の検査結果の報告だ。
実は父が癌で入院し手術をすると聞いたのが今月の初めだった。
何年も連絡の無かった妹から突然携帯に電話があり、その内容が父の入院・手術だった・・。
父とは何年か前に大喧嘩をして、それっきり連絡を取っていなかった。
そして久しぶりに会った父は、手術が終わり麻酔の覚めていない眠った状態。
ICUの中で久々の親子対面だった。
とても痩せた・・・とても老けた・・・。
気の荒い、喧嘩っ早い、やんちゃ坊主みたいな父だったのに、そんな面影は微塵も残っていない。
無性に悲しくなった。寂しくなった。
あれから、時間のある限り父の病院に顔を出していた。
しかし今日は、その父ともあまり逢う時間が残されていない事を知らされた。
癌は転移しており、半年もしたら確実に全く食事も取れない状態になるだろうと医者からの説明があったらしい・・。
だから残された時間を、本人の安心するところで過ごさせて上げてくださいと・・。
7年前に母が亡くなった。脳梗塞だった。
4年前に四男が癌で2歳10ヶ月という、可愛い盛りに亡くなった。
それ以外にも、死というものに何度直面してきただろう・・。
この世の中で一番確実であり、誰にでも平等に訪れる死というもの・・・。
自分の身内に、又は近い人に訪れた時、人は動揺するのだろう。
決して薄情な訳では無いが、父の余命わずかの知らせを聞いても全く動揺しない自分がある。
それは、この検査結果を予測していた事と、子供の死を乗り越えた私にとって、親の死は当然のこととして受け入れられる心の準備があったからだと思う。
今真剣に考えている。
私は父に何をして上げられるだろう。
父は何に一番幸せを感じるのだろう。
どうすれば「自分の人生は幸せだった」と思ってもらえるのだろう。
あんなに憎んだ父だったのに・・・。
今はそんな気持ちは全く無い。
皮肉なものだと思った。
死というものが私の心の中から憎しみと怒りを取り除いた。
明日は妹と相談する事になっている。
残された父の人生を有意義にするために・・。
この世でたった一人の父親の幸せの為に・・。
ニッコリ笑って最後を迎えさせてあげたい。
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